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横浜地方裁判所 昭和33年(ワ)840号 判決

原告 那須あい 外一名

被告 横浜市

主文

被告は原告那須あいに対し金二〇〇、〇〇〇円、同那須武平に対し金三〇、〇〇〇円及び右各金員に対する昭和三三年九月一七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分して、その一を原告那須武平の、その余を被告の、各負担とする。

この判決は原告等において、その勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告は原告那須あい(以下原告あいという。)に対し金二五〇、〇〇〇円、原告那須武平(以下原告武平という。)に対し金一五〇、〇〇〇円及び右各金員に対する昭和三三年九月一七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、訴外亡佐藤治実(以下治実という。)は原告等夫婦の長男である。もつとも同人は内縁中に出産したため、原告あい(当時旧姓佐藤あい)の子として出生届がなされたので、佐藤姓になつている。右治実は、昭和三三年三月一〇日午後四時五七分頃横浜市鶴見区上末吉町六八番地先道路上市営バス末吉橋停留場附近において、訴外内山信政(以下内山という。)の運転する乗合自動車(神二-六五四三)の左前方泥除けで押し倒され同車の左後輪で頭部を轢かれたため即死した。右乗合自動車は被告がその事業とする市営バスのために運行の用に供していたもので、内山は被告に市営バスの運転手として雇われ事故当時その運転に従事していたものである。

二、右事故により原告等の蒙つた損害は次のとおりである。

(1)(財産的損害)

原告武平は治実の死亡により葬儀法要の費用として金三〇、〇〇〇円の支出を余儀なくされ、原告あいは事故当時長女を出産した直後で未だ産褥にあつたが右事故によるシヨツクのため神経症となり、これが治療費として金三〇、〇〇〇円を支出し、それぞれ同額相当の財産上の損害を蒙つた。

(2)(精神的損害)

治実は原告等の間の一人息子であつて、本件事故によつて愛児を失つたことにより原告等は甚大な精神的苦痛を受けた。しかしてこの苦痛は金銭をもつて慰藉さるべく、その慰藉料の額は、原告あいに対し金二二〇、〇〇〇円、同武平に対し金一二〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

(3)  右各損害は、被告が自己のために運行の用に供する自動車の運行によつて治実の生命が害されたことにより生じた損害であるから、被告は原告等に対しこれを賠償すべき義務がある。

三、よつて被告に対し、原告あいは右財産上の損害と慰藉料の合計金二五〇、〇〇〇円、原告武平は同金一五〇、〇〇〇円ならびに右各金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和三三年九月一七日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。と述べ、被告の主張事実をすべて否認し、

立証として、甲第一乃至第四号証を提出し、証人石川忠一、同平田稔、同下田之孝、同坪与市の各証言及び原告武平、同あい各本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の一の成立は不知と述べ、その余の乙号各証の成立を認めた。

被告訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、請求の原因に対する答弁として、

一、治実が、原告等主張の日時場所においてその主張の如き事故により死亡したことおよび内山が被告の被用者であつて、本件事故が被告の事業である市営バスの運行により生じたことは認めるが、その余の事実は不知、と述べ

二、抗弁として、

(一)(イ)  被告は市営バスの運行につき内部規則を設けこれに従つて常に乗務員を指導監督して事故の防止をはかつており、かつ内山は運転経験年数一一年余、性格正常の者である即ち被告は内山の選任監督につき相当の注意をしているから、被告には過失なく、また本件事故は、治実がバス発車直前に運転手の視界から死角となつている車体前部のバンバー附近に近寄つたため起つたもので、内山は運転者としての注意義務をつくしているから運転者にも過失がない。

(ロ)  原告等は、治実の保護監督者として、生後二年三ケ月程度の幼児が、単独で危険な往来に出て遊ぶ様なことがない様常に注意すべき義務があるのにこれを怠り、治実を単独で放置し、ために本件事故が発生したのであるから原告等に過失がある。

(ハ)  本件乗合自動車には構造上の欠陥及び機能上の障害はなかつた。

以上のとおりであるから被告には本件事故による損害を賠償すべき義務はない。

(二)  仮に被告に賠償責任ありとしても、被告は昭和三三年三月二二日、その代理人岡崎久治を通じて原告等に対し示談金として金七五、三九〇円を支払うことを約して、原被告間に和解が成立し、これにより原告等は本件事故による損害賠償請求権を放棄しているものであるから本訴請求は失当である。

(三)  仮にしからずとするも、本件事故についての原告等の前記過失は重大であつて賠償額の算定につき斟酌さるべきである。と述べ、

立証として乙第一号証の一乃至三を提出し、証人岡崎久治、同内山信政、同黒川睦子、同大田武雄の各証言を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

訴外亡治実が、原告等主張の日時場所において、その主張の如き事故により死亡したこと、内山が被告の事業である市営バス運転手として被告に使用されるものであつて本件事故は内山の運転する市営バスの運行により生じたものであることは当事者間に争いがない。

成立に争いなき甲第四号証、および証人平田稔、同下田之孝の各証言ならびに原告等各本人尋問の結果を綜合すると治実は原告等の間に生れた長子であるが出生当時原告等がまだ婚姻届をしていなかつたので、原告あい(当時旧姓佐藤あい)の子として出生届がなされ原告武平は認知の手続をしていなかつたこと、原告等はその後婚姻届を了したが治実はそのまま佐藤姓となつていたこと、原告等は治実の出生当時より同人を手許に置いて養育し原告武平の収入によつて親子三人が生活してきたこと、以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

ところで被告は、原告等に対しては本件事故による損害を賠償する義務なき旨主張するので、まず被告の被用者である運転者内山の過失の有無につき按ずるに成立に争いなき甲第一乃至第三号証及び証人石川忠一、同坪与市、同内山信政(後記措信しない部分を除く。)、同黒川睦子(後記措信しない部分を除く。)、の各証言ならびに原告等各本人尋問の結果を綜合すると本件事故現場は駒岡方面より京浜第二国道方面に通ずる幅約一二メートルの歩車道の区別のない直線の道路であり、現場附近には、道路左端(京浜第二国道方面に向つて。以下同じ。)に市営バス末吉橋停留場がありその左方には道路より約三・一メートル距つて倉庫が建ち、その間は空地をなしていること、倉庫の東方には道路に接して事故当時の原告方家屋がありこれと倉庫との間が路地となつて居て、原告方の入口はこの路地に面していること、事故当時内山は本件乗合自動車(以下単にバスという。)を運転して右道路を駒岡方面より進行し前記停留場に停車して二、三名の客を乗降させた後京浜第二国道方面に向け発車したが、その際バスの左前方に居た治実に気付かなかつたためバスの左前部バンバー附近を同人に接触させてこれを路上に押し倒し、次いで左後輪でその頭部を轢いて同人を即死せしめたこと、前記路地の入口は停車中のバスの前部の位置からは左斜前方少くとも四・四メートル以上距つており、治実はそこから出て来て、停車中のバスの前部の位置から前方に約二・七メートルの路上でバスに接触したこと、前記路地入口より右接触地点に至る間は停車中の運転手席からの視界に入つていること、事故当時停留場附近は人影閑散であつたこと、以上の事実を認めることができ、証人内山信政、同黒川睦子、同岡崎久治、同大田武雄の各証言中この認定に反する部分は前掲各証拠に照したやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

さて乗合自動車の運転者たる者は停留場での発着に際しては、道路の左端に近接することでもあり、ことに本件の如く歩車道の区別のないところでは歩行者が路地から出てきたり児童が道傍で遊んでいたりして自動車に近接する場合のあることも充分考えられるのであるから、停車中及び発着の際を通じて常に前方のみならず側方をも充分に注視して接触事故等が起らない様注意しその安全を確認した上で発車すべき業務上の注意義務あるものというべきところ、本件事故の際治実がバスの発車直前乃至発車後に突然に運転手の視界の死角をなす地点に入つたという様な情況は、右認定の各事実と治実が当時生後二年三ケ月であつたこと(この事実は当事者間に争いがない。)に照して到底考えられず、前段認定の各事実を綜合すれば、内山がバスの停車中及び発着の際に当然つくすべき前記注意義務をつくして居れば、たとえ治実がバスの停車以前に附近路上で遊んで居たものにせよ、或いは発着の前後に前記路地より出て来たものにせよ、いずれにせよその姿を発見し得た筈であり、且つそれによつて事故を防止すべく適宜の処置を取り得た筈であることを容易に推認することができるものというべきである。

そうすると本件事故については運転者たる内山に過失なきものと云うことを得ず、これを前提とする被告の前記主張は爾余の点を判断するまでもなく失当であるから採用できない。(被告は被用者たる内山の選任監督につき相当の注意を為している旨主張するが、本件は自動車損害賠償保障法を適用すべき場合であるから右内山に過失なきことを認め得ない以上被告は責任を免れ得ない。)

以上の次第であるから被告は原告等に対し治実の死亡に因つて生じた損害を賠償すべき義務がある。

もつとも原告武平が治実と法律上親子関係なきことは前認定のとおりであるから民法第七一一条の法意よりして同原告は治実の死亡により蒙つた精神的損害についてはこれが賠償を求め得ないものと云うべく、同原告の請求中慰藉料の支払を求める部分は爾余の判断を俟つまでもなく失当であること明らかであるから棄却を免れない。

次に被告は、原被告間に和解が成立している旨主張するのでこの点につき按ずるに、証人岡崎久治の証言により成立を認めることのできる乙第一号証の一、および成立に争いなき同号証の二の記載に徴すれば、原被告間に被告主張の如き和解が成立したかの様に見受けられないでもないが、証人岡崎久治の証言の一部(後記措信しない部分を除く。)及び同平田稔、同下田之孝の各証言ならびに原告等各本人尋問の結果を綜合すると本件事故についての示談の交渉の経過は次のとおりであると認められる。

本件事故後前記岡崎は被告の代理人として原告方に赴き数回に亘り原告武平と折衝した結果昭和三三年三月二二日頃両人の間で被告より金七五、三九〇円を支払うということで示談につき一応の合意が成立し、これに基いて前掲乙第一号証の二の書面が作成されたが、右合意は同原告においてその示談金の外に約一二〇、〇〇〇円程度の保険金が手に入るものと誤信していたことに基くものであつたので、この錯誤に気付いた同原告がその日のうちに岡崎に対し前記示談金額では不満であるから示談には応じられない旨申入れたところ岡崎もこれを諒承し示談についてはあらためて交渉することに同意したがその後原被告間で示談につき話し合いの成立しないまま今日に至つた。

以上の経過で、原被告間においては結局和解が成立していないことを認めることができる。

よつて被告の右主張は理由がない。

そこで進んで治実の死亡により原告等に生じた損害につき判断する。

(慰藉料)

原告あいが治実の母であることは前に認定したとおりであり、本件事故によつて愛児を失つたことにより甚大な精神的苦痛を蒙つたことは容易にこれを窺うことができるところこの苦痛は金銭をもつて慰藉さるべきであるから被告はこの苦痛に対し同原告に慰藉料を支払う義務がある。成立に争いなき甲第一乃至第四号証、前掲乙第一号証の一および証人平田稔、同下田之孝、同岡崎久治の各証言ならびに原告等各本人尋問の結果を綜合すると、治実は原告等の間の一人息子であつたこと、事故当時原告あいは長女を出産した直後で産褥にあつたこと、原告武平は現在電工として働き月平均約二〇、〇〇〇円の収入を得ており、これで原告等夫婦と一子が生活していて他に資産はないこと、被告において治実の葬式につき便宜をはかりかつそれがため約五、〇〇〇円余を支出していること、以上の事実を認めることができ、右各事実及び治実の死亡の情況その他本件各証拠により認めることのできる諸般の事情を考慮して、原告あいに対する慰藉料の額は金二〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

原告武平に対する慰藉料についてはすでに判示したとおりであるからこれを棄却すべきものとする。

(財産的損害)

原告武平は、治実と事実上親子関係あるものであり、且つ同人及び原告あいと事実上生活を共にしてこれを扶養してきたものであることは前認定のとおりであり、原告等各本人尋問の結果によれば、原告武平は治実の葬式法要を営み且つ、その費用として少くとも金三〇、〇〇〇円を支出したことが認められ右認定を覆すに足る証拠はない。そうすると右葬式法要の費用は本件事故により原告武平において支出を余儀なくされたものであり且つ治実死亡に基く通常の出捐と認められるから被告は同原告に対しこれを賠償すべき義務がある。

原告あいが本件事故直後軽度の神経症に罹つた事実は成立に争いなき乙第一号証の三および原告等各本人尋問の結果によりこれを認めることができるが、原告等提出の各証拠その他本件全証拠をもつてするも同原告の右罹病と本件事故との間に相当の因果関係を認めるに足りないから、その治療費の賠償を求める同原告の請求は理由がない。

最後に被告の過失相殺の主張につき考えると、成立に争いなき甲第二号証及び原告等各本人尋問の結果によれば、事故当時の原告方住居の附近には、右住居をはさんで道路とは反対側の裏手に五〇坪ばかりの空地があり、治美は一人の時はそこで遊ぶのを常としており、附添いなしには本件事故の起きた道路の方に出たことがなかつたこと、当時原告あいは産褥にあつたので近所の婦人を手伝いに頼んで居たが、同女はたまたま夕食の時刻であつたので帰宅して居たこと、原告武平は事故前に所用で外出していたこと、原告あいは事故直前治実が外に出て行くのを見たが、裏の前記空地の方に行つたので危険がないものと考えて同児をそのまま一人にして置いたことを認めることができ、他にこの認定を覆すに足る証拠はないから、これらの事実を綜合すると本件事故発生当時治実が一人で道路端に出ていたとしても原告等は父母として監督上の注意義務を怠つていたということはできない。従つて被告の右主張は理由がない。

以上の次第であるから原告等の本訴請求は被告に対し原告あいが慰藉料金二〇〇、〇〇〇円、同武平が前記財産上の損害金三〇、〇〇〇円及び右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和三三年九月一七日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限りにおいて理由があるからこれを認容すべく、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきものとする。

仍つて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋栄吉 新海順次 亀山継夫)

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